お味噌ランド

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【女性必見】洋楽ばっかり聴いてる勘違いバンドマンもどきを落とす方法

 バンドマンというのは非常に面倒くさい人間が多い。

 

 突き詰めていけば、音楽や美術、映画や文学などといった芸術に関わってくる趣味を持つ人間は、皆面倒くさい部分があるのかもしれない。芸術はスポーツやテストとは違い、勝ち負けも点数もつかない。芸術を盲信する人間は、自分だけが持つ主観という物差しを振り回して好き勝手暴れまわる。We are the worldゲルニカも、彼らにとっては争いの種でしかない。

 

 まだ楽なのはクラシック音楽や絵画といったジャンルの愛好家だろう。彼らの中には、歴史に裏打ちされた絶対的な権威が存在し、それが緩やかなひとつの指標となっている。そのため、その道の超有名芸術家さえ適当に挙げておけばどうとでもなるからだ。美術好きにはゴッホピカソと言っておけばいいし、クラシック好きにはバッハとベートーベンとさえ言えば後は勝手に相手が喜びだすだろう。

 

 問題はロックバンドやマンガなど、ポップカルチャーの狂信者だ。彼らはパンク精神のもと、「売れているもの」を特に嫌がり、ボロクソに貶める。彼らにとって、ワンピースやゲスの極み乙女は汚らわしい存在といってもいい。大して広くもない周囲の世界で序列を作り、その中でマイナーな立ち位置を愛する自分と他の愛好者同士で勝手にシンパシーを感じてるのだ。

 

 その中でも特に危険なのが「洋楽好き」である。中途半端な歴史とやたら広く細分化されたジャンル分けの影響で、相手の聴いている音楽によって記号を振り、フォルダとして割り振るからだ。相手の話題に合わせようと「私も洋楽聴くよ!」などと言ってしまうと大変なことになる。「へえ、どんなのが好きなの?」という返し刀に対し、適切な回答をしなければアウトである。テイラー・スウィフトなどと言ってしまうともう駄目で、(あっ、こいつ理解(ワカ)ってねえな…)みたいな感想と共に、相手の心の中で「テラスハウス」というあだ名を付けられてしまうだろう。


 「じゃあなんて答えればいいんだよ」という疑問は最もなのだが、これが非常に難しいのが洋楽オタクの面倒なところである。マンガオタクにはハガレンあたりを挙げておけばいいし、マイナー邦ロック好きバンドマンはスピッツピロウズの二枚看板で逃げ切れる。しかし洋楽オタクバンドマンというのはそもそも範囲が広すぎて最適解が見つからないのだ。どのアーティストを選んでもどこかでケチがついてしまう。以下に一例を紹介する。

 

The Beatles


「どうせとりあえずビートルズみたいな感じでちょろっと聴いただけだろ」

ビートルズはアルバム単位で語れ」

 予想されるあだ名は”なんでも鑑定団”

 

QUEEN


「We will〜から入って月9で聴き始めたタイプだわこれ」

「そもそもあれ元々フレディのソロだろ」

予想されるあだ名は”maybe"

プライド (テレビドラマ) - Wikipedia

 

Radiohead

 


「意識も理想も高そう」

「Creepのためだけに1st買ったんだろうな」

予想されるあだ名は”林檎厨”

 

 他にいいあだ名が思い浮かばなかったためこれくらいにしておくが、実際は何を言ってもどこからか(理不尽な)文句が飛んでくると思われる。要するにあまりに有名だとヘソを曲げるし、自分の趣味に合わなければ貶してくるし、仮にマイナー洋楽を挙げられたとしても相手と噛み合う可能性は限りなく低いという八方塞がりなのだ。しかしそんなめんどくさい洋楽オタキモオナニークソバンドマンもどき相手に有効だと思われるアーティストを紹介する。

 


もうこれしかないよ、Earth, Wind & Fire

 適度に古い上に有名な曲も多いから答えてもそんなに違和感なし。ディスコミュージックだからポップで聴きやすいし、クラブ音楽好きにも完全対応。オナクソバンドマン相手でも勿論可。「”最強のふたり”って映画で使われてるの聴いてからハマっちゃって〜」っていう会話のつかみにもパーペキですわ。「高校生のころ吹奏楽部でトロンボーンやってたから、ブラス隊がかっこいいところも好き!」とか適当にホラ吹いて畳み掛ければもう勝ちでしょ。気になるカレがオナクソバンドマンな貴女、今すぐEW&Fを聴いてチャレンジしてみよう。

 

 ちなみに「洋楽ばっかり聴いてる勘違いオナニークソバンドマンもどき」のモデルは私自身なのでアテにならないと思います。

 

ブログを始めよう

今となっては、一昔前までに比べて「ブログを開設する」ということに関してすごくハードルが上がったと思う。

 

私が高校生だったころはSNSのサービスも限定されていて、割りと多くの人が何かに他愛のない話なんかを書き連ね、コメント欄でコミュニケーションをとるという日常があった。イケイケな子たちは「前略プロフ」を使い、教室の机に突っ伏して寝ているような子(私もそうだった)はブログで、と言った具合だ。PCの前に座って頭を絞り、少しでも楽しんでもらえるような記事を書こうとする。見るのは友人ばかりだから何を書いてもコメントくらいは貰えるのだが、つまらなければそれははっきりとコメント欄の雰囲気に乗って伝わってくる。通学中の電車の中で反応を確認し、また他の友人のブログを読んではコメントをしていく。メールやチャット、今の時代で言えばLINEのような、双方向のやりとりとは少し違う面白さがあった。

 

現在ではSNSといえばTwitterFacebookInstagramなんかが中心になるのだろう。Facebookは匿名性が低いからあまり突っ込んだことは書きにくい。TwitterInstagramはどちらかと言えばスマホ片手に出先でサッと気軽に使うものだと思う。腰を据えてじっくり考えるものでもない。割りとブログの形態に近かったmixiは今や虫の息であることも考えると、たった10年やそこらでネットによるコミュニケーションの速度は物凄く速く、簡素になったのかもしれない。

 

量のある文章というのは、書き手にも読み手にも負担を強いるものだろう。つまらない140文字のつぶやきなら右から左へ流せても、画面いっぱいに広がる文はそうはいかない。ただ、興味深いブログを発見したときは嬉しくなるし、バックナンバーまで読み漁りたくなる。Twitterなんかでも面識なく気に入った人をフォローすることはあるけれど、過去のツイートまで読み込むことはそう多くない。赤の他人の日常を底から引っ張り出してかき集めたくなる魅力はブログにしか無いと思う。

 

だから今度は私が日常を引っ張り出される側になれたらと思った。ブログを始めることについて知り合いには伝えていないから、誰一人読むことのない悲しい日記になるかもしれない。それでも細々と続けていったときに、物好きな誰かの目に止まって過去をひっくり返して漁られて、ちょっとした暇つぶしになったくれればと思う。